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1037件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2019-11-20 第200回国会 衆議院 経済産業委員会 第7号

梶山国務大臣 先ほども申し上げましたように、私、五十四年から六十年まで動力炉核燃料開発事業団、今の機構の前々身の会社に勤務をしておりました。私の同期もおります。いまだに年に数回同期会に呼ばれたりして旧交を温めているわけでありまして、そういった中で、梶山が政治に出ているのならということで、パーティー券を買ってくださる方もいるということであります。  

梶山弘志

2019-11-20 第200回国会 衆議院 経済産業委員会 第7号

そういった中で、私自身も、研究開発機構の前々身であります動力炉核燃料開発事業団勤務をしておりました。  個人的なおつき合いもございますし、支援者ということで、多分、私、ちょっと今、事前にお話がなかったので確認はできておりませんけれども、公職選挙法に基づいて、またほかの法律に基づいて、適切に処理をしているものだと思っております。

梶山弘志

2019-04-11 第198回国会 衆議院 科学技術・イノベーション推進特別委員会 第3号

猛烈な中性子のエネルギーが、その包み込む商業動力炉炉壁にダメージを与えていくわけですよ。  これに関して、これも課題としてしっかりきのう言っておいたんですが、これ、可能ならどうやって実現するかを、今、国際核融合材料照射施設、IFMIFにおいて開発が進められていると聞いておりますが、この点はどういうふうに考えて、ここがかなり大事なポイントになると思うんですね、実現に向けて。  

吉田統彦

2017-06-01 第193回国会 参議院 外交防衛委員会 第23号

政府参考人増子宏君) 我が国におきましては、昭和五十二年に当時の動力炉核燃料開発事業団東海事業所で再処理試験を開始しまして、平成十八年までに一千百四十トンの使用済燃料を再処理しているところでございます。この施設で得られた技術開発の成果は、六ケ所処理工場への技術移転をほぼ完了しておりまして、現在は施設廃止措置に向けた準備を行っているところでございます。  

増子宏

2016-03-30 第190回国会 衆議院 国土交通委員会 第4号

動力炉核燃料開発事業団は、国内のウラン資源調査の一環といたしまして、昭和三十八年から昭和六十三年の間、岐阜県の東濃地域におきましてウラン鉱床調査を実施しております。  その際、重量比において元素が比較的凝集している〇・〇一%以上の酸化ウランを含む場所をウラン鉱床としたところでございます。

田中正朗

2014-03-10 第186回国会 参議院 予算委員会 第10号

それで、原子力開発長期計画が一九五六年でありますけれども、ここはやはり日本増殖動力炉我が国の国情に最も適合する、つまり、これはプルトニウムを使うということを意味しております。こういうのが基本計画でした。  そして、一九六七年度も高速増殖炉及び新型転換炉を国のプロジェクトとして強力に推進するというふうに位置付けております。ところが、後で言いますけど、これがうまくいかなくなってきた。  

平野達男

2013-05-09 第183回国会 参議院 文教科学委員会 第5号

もんじゅ」を、先ほども言いましたように、昭和四十一年五月に原子力委員会が定めた動力炉開発基本方針では、高速増殖炉について、四十年代の半ばまでに実験炉の、四十年代の後半に原型炉建設、それぞれ着手するとされ、四十二年四月に改定された原子力研究開発及び利用に関する長期計画では、六十年代初期に実用化することを目標とし、当時の開発状況の中で最も有望と見られていたナトリウム冷却炉開発することとした。

横峯良郎

2012-08-27 第180回国会 参議院 東日本大震災復興特別委員会 第10号

上野通子君 研究段階といいましても、様々な拡散実験などのデータによって検証されており、動力炉核燃料開発事業団火災爆発事故、一九九七年三月や、ジェー・シー・オー、ウラン加工工場臨界事故、一九九九年九月の解析で実績を上げています。様々な段階ですが、もう既に実績も上げて幾らでも生かせる段階に入ってきていると思いますから、是非とも防災マニュアルの中の活用の位置付けも考えてほしいと思います。  

上野通子

2011-11-24 第179回国会 衆議院 科学技術・イノベーション推進特別委員会 第5号

ちょうど、核分裂も核融合も、物理学世界では一九三八年、九年のころ非常に進んだわけで、理論的にはできていたんですが、原発の方は、プルトニウム生産炉とか原子力潜水艦とか、兵器生産から始まって、そして使用済み燃料の後始末とか高レベル廃棄物の後処理なしに進んだという経過はありますけれども、とにかく、この間に動力炉としてできたわけですね。

吉井英勝

2011-04-27 第177回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第3号

当面の問題として、これは言いわけになりますけれども、世界じゅうで、大きな動力炉が四つも同時に問題を起こしたというのは初めての例でございます。皆さん、よくチェルノブイリとかあるいはTMIの事故を例に引かれるんですけれども、あれは一基の原子炉でございまして、四基並んで倒れたというのは、これは残念ながら世界で初めての経験でございます。ある意味では非常に悲惨な経験になるわけですか。  

住田健二

2011-04-27 第177回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第3号

それから、私が東海村へ到着いたしました九時過ぎでございますけれども、七時ごろに東京を出て、九時過ぎになりましたが、私が到着しましたときには、私が着いたテーブルの上には、当時の日本原子力研究所、たまたま松浦さんが理事長でおられたわけですけれども、それから、やはり関係のあります動力炉開発事業団その他からの、自分たちがやられた計算結果とか、そういうものが全部、もう机の上に来ていたわけですよ。

住田健二

2010-04-09 第174回国会 衆議院 経済産業委員会 第7号

この間もお話ししましたように、「もんじゅ」は将来の動力炉見通しがないということは、元東京電力の副社長で原発をやっておった専門家まで、採算性めどがないと言っているぐらいになっているんですから、そういうものに、「もんじゅ」の再開まで突き進んでいくというのは本当に危ない道だと。  やはり私は、大臣として、これはここで一度立ちどまって、この問題について深い検討をしなきゃいけないときだと思います。

吉井英勝

2010-02-25 第174回国会 衆議院 予算委員会第七分科会 第1号

つまり、「もんじゅ」を続けてやって、実際に商業的にペイするような動力炉になっていくのかという見通しを考えたときに、高速増殖炉というのは、各国が皆やめていったのは、その理由は、プルトニウムの強い毒性の問題、放射能汚染の問題、再処理困難性ですね。六ケ所MOX燃料使用済みは使えませんから、再処理できませんから、新たにつくらなきゃいけない。

吉井英勝

2010-02-25 第174回国会 衆議院 予算委員会第七分科会 第1号

原型炉もんじゅ」の再開を今急いでいますが、FBRの動力炉として、実証炉は二〇二五年ですか、百五十万キロワット級での実用炉、二〇五〇年を動力炉として商業化する時期ということを計画しておりますが、電気出力二十八万キロワットの「もんじゅ」の建設費総額は、これはエネ庁からいただいた資料で、トータルすればすぐ出ますが、五千八百八十六億円。

吉井英勝

2008-05-27 第169回国会 参議院 文教科学委員会 第6号

機構は旧動力炉核燃料開発事業団動燃と言われるところですね、旧核燃料サイクル機構の流れをくむ研究機関であったわけですよ。動燃は、「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故平成七年十二月にありましたね。それから、アスファルト固化処理施設火災爆発事故平成九年三月にありました。事故虚偽報告や不十分な連絡通報などの事故後の不適切な対応が問題となって国民の原子力に対する信頼を大きく失墜させたわけですよ。

大島九州男

2008-05-27 第169回国会 参議院 文教科学委員会 第6号

その後、原子燃料公社につきましては、先ほど御説明をしました高速増殖炉、こういった新型原子炉実験炉とか原型炉建設、運転、それからそういった分野での研究開発を一元的に推進するために原子燃料公社動力炉部門を設置をしまして、動力炉核燃料開発事業団というのに改組がされたわけでございます。これが昭和四十二年でございます。  

藤田明博

2008-05-08 第169回国会 衆議院 内閣委員会 第13号

まず、昭和三十一年からのすべての総事業費についてお答えを申し上げたいと思いますけれども、旧動力炉核燃料開発事業団及びその後継組織でございます核燃料サイクル開発機構におきます累積予算額というのは、昭和四十二年度から平成十七年九月までで、総予算約五兆五千五百三十五億円でございまして、そのうち政府支出は約四兆八百七十六億円でございます。  

古谷毅

2008-04-16 第169回国会 衆議院 文部科学委員会 第7号

平成八年度当時は、日本原子力研究所職員数は二千四百十人、それから核燃料サイクル開発機構の前身でございます動力炉核燃料開発事業団職員数は二千八百九人ということで、二法人合わせますと、平成八年度は五千二百十九人ということでございました。一方、平成十九年度の日本原子力研究開発機構職員数は四千百五十七人というふうなことになっております。

藤田明博